中央委員会との討論についてのまとめ         

                  
2009年11月23日 

                             高木 純記 

 

高木 純が中央委員会に送った

志位委員長の党創立87周年記念講演を読んでの意見について議論を行う。

 2009年10月28日  県委員会事務所三階にて

 

中央委員会の出席は、学習教育局次長 祝迫 光治氏 
           自治対局次長 今田 吉昭氏

         上村徳島県委員長(中央委員会委員)   

他に山田県議が出席(意味不明)議論には参加せず

 

 この日の議論について、どのような議論があり結果としてどのような結論にいたったか、あるいは結論などありえず平行線のまま終わったか、それらが明確になっていないと思われるので、こちら(高木)としての見解を明確にしつつ、この文書のなかで改めて中央委員会を批判する。

 

 冒頭、高木より、「これを意見交換みたいに言うが、議論になるのは必至、議論するとなると、こちらは一人だが、そちらは代わる代わる議論を展開できる。私も頭が回らないので、やはり文書でやりとりすべき」と申し出るも、

「文書だと木で鼻をくくったようなものになるので、お互い理解を深めあうように話し合う方がよいと思う」とあくまで話し合うことを求めた。

 高木より、「そこまで言うなら了承するが、組織的に矢継ぎ早に来られてもこちらは一人。フェアな議論を望む」と求める。

 しかし、議論が伯仲するとやはり三人がかりとなり、アンフェアとは言わないまでも、組織として体制が組めない側には不利な“議論”となったことは否めない。

 

 議論を進めるにつれ焦点が絞られた。

意見が対立する中心点は、都議選後の幹部会声明となる。

 高木の主張は先に送った志位委員長の党創立87周年記念講演を読んでの意見のとおり。

 これに対し、中央側の意見は、

 都議選の結果を経て、方針が発展的に変わっただけで8中総を引き継いでいる(上村)

 小沢から、鳩山に変わり民主党に変化があった。マニフェストも国民の暮らしを考えたものに変わったから、 “過渡的”な政権に変わった(今田)

祝迫氏の意見は、論旨が不明であった。「今おっしゃっていることが、何を言いたくて言っているのか分からない」と高木から分かりやすい説明を求めたが叶わなかった。祝迫氏の名誉のために、高木の理解力の問題としておく。

 

上村氏へ高木の反論は、

 発展ではなく、誤っていたから修正したのである。幹部会声明までの長い期間を、“発展”する前の誤った方針で選挙戦を戦っていた。それを認めるべき。

 

今田氏への高木の反論は、

 民主党がマニフェストを発表したのは7月26日(これは今田氏が話したこと)

 わが党の幹部会声明は7月14日ごろ、都議選直後、民主党の変化ではなく、都議選の敗北を受けてのもの。

 

議論は結局、この二点を中心に展開された。中央委員会からは角度を変えたり、方向を変えたりしながら、同じ説明を繰り返す。今田氏にいたって高木の指摘により破綻している説明を繰り返す

当然、納得せず平行線となる。

 

高木が納得しない論旨

衆議院選挙は幹部会声明後の期間だけ戦ったのではない。麻生政権誕生前からほぼ臨戦態勢だった。以下、志位委員長の党創立87周年記念講演を読んでの意見より

今度の政権交代に歴史的意義があるともっと早く考えていたなら、衆議院選挙のみならず、都議選やその他の地方選挙などなど、大きく戦略が変わっていたのではないでしょうか。後退を免れて、前進する可能性が大きかったはずです。何よりも、「自民党政治はもう御免!」と考え、一縷の望みを託して民主党に政権を委ねようとした国民に、わが党は「自民も民主も同じ!」「暮らし・平和・民主主義を破壊する民主党」と声を張り上げて民主党を罵倒していたのです。これはことによったら、自公政権の延命を計ろうとしているのではないかと国民の目には映ったはずで、記念講演で言うところの「歴史的意義」のある「政権後退」の妨害に全力を挙げていたのです。

 

故に、言い訳をせず誤りだったと認めるべきと主張する。

そして、党は、(記念講演を読んでの意見より)

党は、間違っていれば誤りを認め、選挙で後退すれば敗北を認める。そんな当たり前のことができていない。

間違っていることがどれだけ明白になっても、それを誤魔化し、なし崩し的に軌道修正を図り、またもや民主集中制で党員に「確信」を押し付ける有り様は、社会発展を願う人民の先頭に立つものとして許されない。

との、主旨の批判をする。

さらに、誤りや間違いを認めない党の体質は、やがて党を衰滅させると危惧している。今まさに衰滅傾向にある。手遅れになるので一人でも決起した。今は孤軍奮闘であっても、必ず私の主張が正しいことが証明される。と宣言した。

 

他の議論と、問題点(高木が考えるもの)

 都議選が話題となった。先にメールで高木が取り上げていたためである。

今田氏が、「敗北とはいえ得票は前進した。議席を減らしたのは共産党シフトがあったため」との説明があった。得票は三万票増やしたとのこと。

しかしながら、投票率が大幅に上がっていたため、全体の票は100万票増えている、よって、三万票増えたということを、「票を増やした」と言って評価するに値するものではない。そして、総選挙も得票をのばしたことを「確信」にするように9中総に書いてあるが、これも全体の票が増えた中のわずか2%獲得しただけであり、得票率は大幅に下がっている。あまりにも、強引な評価の仕方は、一般の常識とかけ離れたものである。

また都議選での共産党シフトを聞いてみると、「以前には自民党が二議席擁立した選挙区で、今回は一議席に絞った。これは共産党をしめだすもの」

とのこと。しかしこれは、自民党が共倒れを恐れて一人に絞ったと考えるのが当たり前である。それが、共産党シフトだと思うのであれば、「世界は自分のために回っている」という考えと同じぐらい自己中心的と言わざるを得ない。率直に申し上げて、あきれかえって声も出なかった。科学的世界観とはいえないものの見方である。

 

 8中総の議論において、

「二つの政治悪」の担い手の勢力であり、他方もまた、同じ流れのなかにあります。

競い合って悪政をすすめている

自民、民主が競い合っての暮らし、平和、民主主義を破壊する

 と、民主党も自民党も同じ穴のムジナのごとく決めつけている点について、上村氏と今田氏が違うことも言っているとのこと。

 しかし、見出しにまでなっていることを、行間の一行の文節だけで否定することはできないのだが、上村氏は「ここを見てくれ」とその行をしめす。また、今田氏は6月  日の志位委員長の演説記事を示して、「志位委員長はこう言うことも言っている」と、その赤旗記事を持ち出した。

 しかし、8中総は中央委員会の決定であり、その主要な部分が見出しとまでなっているにもかかわらず、そこに疑問を投げかけ批判すると、それをかわすために、行間の一部分や、ましてやどこかの駅頭でおこなった委員長の演説を持ち出すなど、いったい、中央委員会決定=志位委員長の発言かのごとき受け止めではないか。

 

 祝迫氏とは何やら最後まで議論がかみ合わなかった。

 氏のもっぱらの言い分は、

 「じゃあ君は○○の部分には納得するんだね?」

 「ここは、分かってくれているね」

 と言った具合である。一見、物腰柔らかい柔和な物言いではあるが、こちらは中央委員会の決定(記念講演)などを批判しているのであって、その内容について説明もしているのである。そのための文書も送ってある。祝迫氏は学習教育部の次長という立場であるなら、真っ直ぐその疑問に答えればいいのだが、上村氏、今田氏を含め三人がかりで私に説明しても、私が逆に反論し納得しないとなると、「ここは分かるんだね」という口調に変わっていった。こちらが、疑問に思っていること、つまりは分からないことを議論しているにもかかわらず、祝迫氏の言い様は、何を意味するのか分からなかったが、後で冷静に考えれば、たぶん…こういうことなのかと、思いを巡らせた。

 民主集中性を組織原則とするわが党において、党員が中央委員会決定などを真正面から批判することなど、そもそもあろうはずのないことである。私も党歴は長いが、そのような場面を見たこともなければ聞いたことも記憶にない。

つまり、党の決定は常にかつに正しいもので、党員はよく学び、真髄をつかんで、確信にして、力にしていくものなのだ。今までずっとそうだったのである。どの階級の機関であれ、党の決定について議論はするものの、「決定の中味を深める立場で……」など、最初から肯定する立場で議論をし、議論の目的は決定を頭にたたき込むことなのである。であるからして、多少の疑問があったとしても、それは目に鱗がついているようなもので、そんなものは落としてしまえばいいのである。

そういう、議論をする党の学習教育部であるからして、真正面からの反論や批判は経験がないのではないだろうか。ましてや党内からの堂々たる批判である。一歩も引かない反論を展開されるのである。さぞかし、勝手が違ったと思われる。

ゆえに一致点を見出そうと「ここは、分かってくれているね」と語りかけたのである。

それは、一見、「お互い、一致点はあるからその面では頑張ろう」などと結果として丸く収まるように見える。だが、そうではない。これは単なる誤魔化しであり、問題の先送りであり、責任の回避でもある。

 こちら(高木)の批判は、明言したように、「このままでは党が衰滅してしまう。そのようなことにならないため決心して批判している」のである。議論の相手は党の衰滅を危惧しているのである。しかも党中央委員会の姿勢が「衰滅に導く」とまで言っているのである。こちらとしては一致点など確認する必要はない。こちらが批判していることが当たっているか、いないかを議論すればいいのである。こちらの批判が的はずれというなら、納得できる論拠を示せばいいのである。こちらが納得しないなら、その納得しない理由を聞き、まだ説明できるならすればいいのである。中央委員会の学習教育部がその努力を惜しむべきではない。ましてや、相手はたった一人である。同じように考える同志が潜在的にいることは間違いないにもかかわらず、規約上それを探すこともできないのでたった一人である。組織的に対応できる中央委員会が、誰でも、どこから見ても納得できるような「説得」ができないなら、白旗を掲げればいいのである。

 もっとも、「相手にしない」という選択肢もあり、意外にも党中央委員会はこの選択肢を用いる場合がある。(私のメールに何の返事もないから明言する)

 

 

 今後のことについて

 私(高木)は、党の決定(直面する9中総)に納得していない。それどころか、党中央委員会は重大な誤りを継続的に犯しているため、ゆえに党は衰滅する危険すらある。一刻も早く誤りを正すべきと言っている。

 しかるに、党は民主集中制である(民主的とは思えなくなっているが)、党の決定には従わねばならない。根幹的な誤りを持っている党幹部団が立てた方針では、党を衰滅に導くと思っているにもかかわらず、決定に従わねばならない。ましてや地区党委員であり、県党委員でもある。よって、党の決定には従うのは当然である。

ただし、規約では党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、党員は自覚的に党の諸決定を実行するものである。からして、私も自覚的に実行するものである。繰り返すが、自覚的にである。

 【党建設】

 党の衰滅を危惧するものが、党建設にかまけているのでは、これは危惧するなどと言っても説得力がない。そのように批判されるてはかなわないから、党建設について述べておく。

 前段に置いて、

間違っていることがどれだけ明白になっても、それを誤魔化し、なし崩し的に軌道修正を図り、またもや民主集中制で党員に「確信」を押し付ける有り様は、社会発展を願う人民の先頭に立つものとして許されない。

との、主旨の批判をする。

さらに、誤りや間違いを認めない党の体質は、やがて党を衰滅させると危惧している。今まさに衰滅傾向にある。

と、批判している。

今まさに衰滅傾向にあるというのは、党の活動家が年々、高齢化して脱落を余儀なくされている現状は党の活動家なら誰でも周知の事実。赤旗配達員は日ごとに減少し、それに応じてかはともかく、部数は長期にわたって下降線を継続している。県党会議参加者の平均年齢は悲鳴が上がるほど高齢化しており、その傾向に歯止めはかからない。高齢化により風前の灯火となっている居住支部が全国いたるところにあり、ここ数年で生物の寿命という宿命により消滅する支部、消滅した支部がある。と認識している。

党中央委員会は私のこの認識を否定すると思う。

「党員は増えている」

「赤旗は、一進一退はあるが増えた傾向もある」

 もっと言うかも知れないが、こんなふうに反論するであろう。

 

私も党建設には中央委員会が考えるのとは、別の意義で努力しようと考える。

誤りや間違いを認めない党の体質は、やがて党を衰滅させる

この思いは揺らぎないものであり、この体質により風前の灯火となっている党組織もあると思っている。

しかし、消滅しては困るのである。誤りや間違いを認めない党の体質によって、党が消滅するのを防がねばならない。やがて立ち上がる萌芽は残しておかなければならない。そのための最低限の党建設が必要である。なんとしても延命できるようにしなければならない。

ところが、この延命のための党建設は、逆に、誤りや間違いを認めない党の体質を延命させる点滴ともなっている。

 

9中総では、

前回総選挙時比でみますと、党員数は、前進して選挙をたたかいましたが、読者数は、日刊紙で90・3%、日曜版は90・5%という到達

5中総以来、全党は、1年9カ月の長期にわたって、党勢拡大のための粘り強い努力を積み重ねてきました。その結果、党員拡大では21カ月連続で党員を増やし、新鮮な力を党に迎え入れながら選挙をたたかいました。また、読者拡大でも、全党の努力によって、5中総を起点としてみますと、通算して日刊紙読者は1千人余の減ですが、日曜版読者は9千人余を増やし、合計では約8千人の読者を増やして、上げ潮の流れをつくりだしつつありました。これらの全党のたゆまぬ奮闘が、善戦・健闘を支える大きな力となったことは疑いありません。) 以上9中総より

 

前回総選挙から大きく後退していることが大きな問題なのだが、5中総後の奮闘がいかに大きなものだったか強調している。あれほど党員に発破を掛けたにもかかわらず日刊紙は減、日曜版は増えた? とはいっても、選挙直後に激減しこれまで増やしたものも吹き飛んでしまっている。

党員拡大については、全く自覚のない党員をそのままにしておけば、いくらでも増える。もはや、そんなことは党内の常識で、党員拡大では21カ月連続で党員を増やし、と書かれても、驚くのは党外のマスコミか、党の事情を知らない方のみで、党の活動家は苦笑するしかないような誇張した成果なのである。

 

つまり、どれだけ党中央委員会が号令を発しても、全体として新聞は減少し、党員は21ヶ月連続で増えているにもかかわらず、

党の自力そのものはどうだったか――自力をつける途上でのたたかいだった。

 

 反省はしつつも「自力をつける途上」とは驚きである。

 9中総に書いてあるとおり、新聞は前回総選挙から10%も後退している。では、前々回の総選挙から見てどうか、その前から見てどうか、明らかに減少しているではないか。いったい何の「途上」なのか? 赤旗部数を過去二十年間折れ線グラフにしてみればどんな「途上」が見えると思っているのか。それが発展途上というなら処置なしであるが。

 では、百歩譲って5中総後の「途上」であったということにしよう。もとより「そう書いている」と言われそうだが。しかしそれなら総選挙が終わった後はどうだったのか? 選挙直後の9月1日に大幅に後退させたではないか。「選挙の日は減っていない」と言いそうだが、なんのことはない、日々はっぱを掛けられる党員が元読者や身近な知りあいに、「せめて選挙が終わるまで頼む」と頼み込んでいたからであろう。だからこそ一気に崩れ落ちるように減紙に転じたのである。幸いなことに最近は「底を打った」感もあり大幅な減紙ではなく、全体として緩やかに減紙となっている。

 

 このような状況下において、赤旗が増えた支部なり地区はまさに貴重な存在ではある。しかし、日本全国に組織されている党にすれば、全体の傾向とは必ずしも合致しない「現象」が、時と場合によっては起こりうるもので、それをあたかも全体に当てはまる「現象」のごとく「活動版」なるものに書き立てるのである。よくよく聞いて見ればいいことばかりではなく問題もさまざまあるにもかかわらず、そんなことは一切書かずに全党に発破を掛ける道具に仕立て上げる。そんな書き方で記事をまとめ上げるのである。

 

 すなわち、現在の中央委員会(幹部会)は、全体的として後退傾向であるにもかかわらず、そのことについては抜本的な総括は避けて、わずかな期間の前進や、局部局所的な前進を針小棒大に取り上げ、それで己が立てた方針が間違っていないとの主張を展開しているとしか思えないのである。

 県や地区の議論もよく指導されている。

 「○○さん、この前日曜版を拡大しましたね。その経験を話してください」

と言う議論が展開される。これが別に悪いとは言わないが、

「昨年の同時期に比べ△△部減少しました」などという報告は一切ない。これは中央段階でも同じである。故に、抜本的な総括はできない。いや、むしろそれを避けるために言わないのではなかろうか。

 このように、党中央委員会の方針に添った党建設は、誤りや間違いを認めない党中央委員会の体質を延命させる点滴にもなりうる。

 

 現在の党組織は、党中央委員会の誤りや間違いを認めない体質によって衰滅傾向にある。

そして、その傾向は加速している。つまり、党中央委員会の誤りによる党の衰滅から、党組織を守らなければならない。よって私は、その立場で自覚的に党建設を考える。

 

【県委員・地区委員】

 党規約には、

第十六条 党組織には、上級の党機関の決定を実行する責任がある。その決定が実情にあわないと認めた場合には、上級の機関にたいして、決定の変更をもとめることができる。上級の機関がさらにその決定の実行をもとめたときには、意見を保留して、その実行にあたる。

第三十一条 都道府県党会議からつぎの都道府県党会議までの指導機関は都道府県委員会である。都道府県委員会は、都道府県党会議決定の実行に責任をおい、主としてつぎのことをおこなう。
  (二) 中央の諸決定の徹底をはかるとともに、具体化・実践する。
第三十六条 地区党会議からつぎの地区党会議までの指導機関は地区委員会である。地区委員会は、地区党会議決定の実行に責任をおい、主としてつぎのことをおこなう。
  (二) 中央および都道府県の党機関の決定の徹底をはかるとともに、具体化・実践する。
 

県委員も地区委員も中央の諸決定の徹底をはかるとともに、具体化・実践する。しなければならない。

しかるに、高木(私)は、

根幹的な誤りを持っている党幹部団が立てた方針では、党を衰滅に導くと思っている

のである。そうであるが故に、メールで中央委員会を批判し、中央委員会の学習教育部次長・自治対局次長、及び上村中央委員に対しても、同じように中央委員会を批判する意見を表明したのである。

次の地区党会議や県党会議において、県委員・地区委員に改めて選出されることは規約上からして辻褄が合わない。よって、次期党会議において機関役員になりえないと考える。

 

【阿北地域における役割】

党中央幹部団が根幹的な誤りを抱え、それが故に阿北地域にかかわらず全国で党組織が衰滅傾向を加速させてはいるものの、国民の暮らしを守り、悪政をきっぱりと批判する日本共産党への国民の期待は依然としてあると思っている。苦言だが、党中央委員会はそこに胡座をかいているとも思っている。

よって、阿北地域において、“衰滅傾向”に抗して党組織や地方議会での議席を死守しなければならない。そのもっとも有効な手段は、地方組織あげて党中央幹部団を批判し、猛省を促し、まずは「これまで誤りがあった」とする立場に立たせて、避けられないことであると考えるが、幹部団の退陣をも含む抜本的体制の立て直しはかり、根幹的部分からの見直しを進めるべきと考えるが、残念ながら現状その可能性はない。

このような状況下において、私のなし得ることは【党建設】において述べたように

“萌芽”を残すことである。」

よって、地方選挙などにおいては、これも自覚的に対処し、市民の暮らしを守るために全力をつくしている地方議員を失わないようしなければならないと考える。

 この点については一見、一致点と考えがちだが、根本的には違う。党中央委員会の誤りを認めない体質により“衰滅傾向”なのであり、それにより「地方議員を失わないようしなければならないと考える」のである。

【市議会議員としての立場】

市議会議員とは、有権者と私との関係から成り立つ立場であり役職である。ただし、党公認で選挙を戦い、結果として市民の支持を得て勝ち取った立場でもある。

あらためて言うまでもないが、この立場であろうとも中央委員会を批判することはなんら問題はない。

党公認の、党の議員が、あろうことか痛烈に中央委員会を批判し、「その体質は党を衰滅に導く」とまで言っているのである。それが、現在の私(高木)である。

本来なら、党の議員は「党決定の実践の先頭に立つ」べきであろうが、逆に、

誤りや間違いを認めない党幹部団の体質は、やがて党を衰滅させる

と言っているのである。そのような党幹部団の決定の先頭に立てるはずはない。もっと言えば、衰滅に導く方向に立つべきではないと考える。

よって、党公認の議員であろうとも、党中央委員会の誤りについて批判を続ける。

さらに、市議改選を迎える時期になっても、党中央委員会が現在と同じ体質であるならば、私は(高木 純は)党の先頭に立つ市議会議員選挙には立候補しない。これは、私(高木)の私生活上において大きなリスクとなるが、そうであっても党中央委員会の誤りを追及する覚悟である。

私は現在54歳であるが、成人してからすぐに赤旗を配り始めている。もうやがて35年である。赤旗配達に限らず、青春時代の日々の大半を党活動に費やしたのである。家庭を持ち、子を成しても党活動に時間を割き、ついには地元町政の混乱に義憤を覚え、要請に応えて党町議に立候補すべき、安定した職を辞し現在に至ったのである。もう決して若くないこの私が、市議としての立場も近い将来において投げ出す覚悟で、党中央委員会を真っ向から批判していることは、生半可な覚悟ではできるものではない。この文書を読む者が、私の覚悟に相反して“生半可”な気持ちで読まないことを切に願うものである。

【一刻も早く誤りに気づくことを望む】

最近開かれた主要都道府県委員長会議での市田書記局長の報告では、9中総で提起した躍進期間はスタートの10月から躍進どころか後退している。「これではたいへん!」 と、痛烈に檄を飛ばしている。この報告文書は党中央委員会の誤りが、いよいよ末期的な症状となっていることが読み取れる。そして、市田書記局長の檄は、末期の悲鳴にも聞こえた。そうは言っても、「どこが?」と気づかぬであろうと思うし、そもそもそんなところに疑問は持たないから末期的であるのだが。

さて、報告では躍進期間で思うような成果が出ないのは、9中総の読了徹底が進んでいないと、あの手この手で証明している。他県に比べ読了率が何%も低いであるとか。逆に言えば、中央委員会決定が浸透すれば全て旨くいくと言っているのである。これが報告の根幹である。

増やそうと思っているにもかかわらず、減ったのである。その失敗の原因がその運動を提起した側にあろうなど露ほども思わないのであろうか。何のことはない九中総ではなく中央委員会の“構え”にも問題があったとしているが、地方から中央の構えを見ている者などいない。県委員長ぐらいは見ているかも知れないが。

なぜ、9中総に誤りがあるとか、党員が燃え立たない弱点があるとか考えないのであろうか。こうして、真っ向から批判している者すらいるのだから、完璧であろうはずはないのだが。

にもかかわらず、「読めば分かる。読ませていないから進まない」そして「確信を持て」「読了進め確信を力に!」と党活動版に書き立てる。

これは、もう宗教に近い。中央委員会の出す決定が“絶対”的に君臨し、あがめ崇拝するように何度も読み、唱え、復唱すれば、真髄をつかめるかのごとくである。

気の毒なのは、ひたすら中央委員会に信頼を寄せつつも、「いくら頑張っても…」と内心疑問を抱きつつ、それを声に出せない党員である。もしかりにこのような党員が“声”を出しても、「読了がたりない」「理解していない」あげくには、「真髄をつかんでほしい」ようするに、「問題はあなた自身にある」のである。そして党員は「何を言っても無駄」とばかりに「躍進」「拡大」と聞いただけで口をつぐむのである。

ただ、このような傾向は以前からであり、今始まったことではない。ただし、それが長い間継続的に行われたところに問題があり、そのことにより党員は疲弊しきっている。「党員は増えている」と言っても、党の活動家にはその実感はなく、実際、活動家の年齢は年々上昇し、今や六十代でも「若手」と賞賛される有様である。つまり、新陳代謝のない同じ顔ぶれの活動家群に繰り返し、繰り返し、方針を徹底し「決定を力に」と、疑問を差し挟む余地なく「確信」を当たり前のように押し付け、運動が前にすすまなければ、「読了徹底進んでいない」である。「ある同志は○○回決定を読んで方針を身につけた」いったい、何度繰り返し読んだのであろうかと思われる活動家を、紹介する党活動版の記事すらあった。

まったくもって、わが党幹部団は神のごとくである。自らが考え出し創り上げた「決定」は完璧であり「読めば分かる」のである。それでも理解できなければ「もっと読んで真髄をつかめ」であり、「○○回読んだ同志は、常に方針に立ち返って力にしている」とまで言うのである。そしてそれを営々と続けてきたのである。その間、国政選挙があるたびに後退し、赤旗読者数も後退し、活動家の平均年齢だけは上昇させてきたのである。いったい、何を司る神なのか。

党幹部団を皮肉混じりであっても「神格化」させることは本意ではない。あえて痛烈に批判するための喩えである。もちろんのこと、末端党員は党幹部団を人として見ていることは言うまでもない。そして、絶対君主的に党のトップに君臨しているなどとも思っていないと考える。すなわち末端党員は、党幹部団は手続きを経て選ばれた党指導部であると普通にそう思っているであろう。

だがしかし世間にある、ありとあらゆる“組織”のなかでも、わが党の指導部は異常極まる存在である。であるがゆえに、喩えで「神格化」させて頂いたのである。

どんな組織の指導部でも、失敗したり、後退したり、選挙で負けたり、目標を達成できなかったりなどすれば、それをを真摯に受けとめ、責任の所在を明らかにし、時には陳謝し、あるいはその地位を辞すのである。

 ところが、わが党指導部は全く逆である。「躍進期間が前進しないのは指導部の方針が徹底していないから」である。「俺たちは完璧な方針を出した。悪いのは県の指導部や地区の指導部だ。気合いを入れて方針を徹底しろ」こう言っているのである。5中総では「持てる力を発揮したのか」と末端党員に責任転嫁している。

もはやつける薬もない。しかしながら、私も人生の大半を党員として生きてきたわけである。これまでの人生がこのままでは、今の党中央幹部団によって無駄にされるのを、もう黙って見過ごすことはできない。ただ、現在党の地方議員である私にできることは規約上限られている。せいぜい、このように中央委員会や、県役員、これから先は地区役員に中央委員会決定の誤りを正すために批判する文書を送ることぐらいである。もっとも、前段にも書いたように、「無視する」という卑劣な方策をとられては処置なしである。だがしかし、かりにも「民主」という言葉をつけた「集中制」の党である。無視されたら、それも合わせて批判するのみである。

 

党中央委員会に対して、党内から真正面に批判する者がどれだけいるか全く分からない。現在の規約ではそれを探しようもない。しかし、これまで書いたような思いを持っている党員は必ずいると思う。もしかりに、この文書が党内広く出回ったら、同意する者が雨後の筍のごとく出てくると私は確信する。しかし、そうなるとしても、そのような状況を作り出す“手段”は規約上まったくない。

党幹部団は規約にしっかりと守られた存在である。その規約とは「民主集中制」と考える。ただし、現在の党には、集中だけが存在し「民主」など存在しない。集中だけが闊歩して、違う意見や批判は陽の目を見ることすらない。それは、この文書そのものが規約上は表に出てこれないことを見れば明らかである。つまり、今現在党幹部団は党内からの批判や反論は規約上ないのと同じなのである。

だがそうであっても、これまでの誤りを認め、我々の理想社会の実現を大幅に遅らせたことを、痛烈に反省しなければならない時が必ずやってくる。私は限られた“手段”であっても、そのために批判を続ける。



 以上、私なりのまとめと決意である。

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