中央委員会への意見    2004/8/19
 
 第二回中央委員会総会の前に若干意見を述べさせて頂きます。
 2004/7/13の常任幹部会声明と、党創立記念講演会の不破議長と志位委員長の講演に関してであります。

 まず、「新聞赤旗を増やしてたたかった 」という点について
 党は昨年の党大会で、赤旗読者の130%拡大を目標として、選挙直前まで奮闘しました。
 しかし、読者拡大は一定数あったものの恒常的な減紙を大きく上回ることなく、目標の130%はおろか、現状を維持するにとどまりました。この点での私の考えを述べさせて頂きます。
 党員拡大と機関誌拡大は組織建設の根幹をなすものであります。選挙を戦うにあたって、強大な組織が必要です。党勢拡大は絶対不可欠であり、まず私自身もそういう認識であることを示しておきます。
 大会で提起された、130%の機関誌拡大はその点では、否定しようのない提起であり、私も、微力ながら全力を尽くしました。しかし私は、党員拡大の遅れや、機関紙の後退は全党の活動の弱さから来るものではなく、他に原因があるのではないかと考えていました。
 選挙の結果も後退となり、機関紙もあれだけの取り組みにもかかわらず、ほぼ現状のままということになりました。この際、党は自分自身を振り返り見て、党そのものの体質や、国民の意識ついて考え直すべきと考えます。

 機関誌拡大について述べます。
 私自身も党の町会議員として、また徳島県委員として機関紙拡大に取り組みました。結果、130%拡大には成功しました。「その成果を教訓として」などと機関の会議で発言を求められますが、実際は、生活相談を受けたことへの見返りとか、党員の顔のつながりで、選挙期間中だけ頼み込んで購読して貰ったものであります。もちろん、そのこと自体否定するものではありませんが、残念ながら、赤旗の魅力を語って、あるいは党の姿を語って新聞購読に結びつけたとは言いがたいものであります。つまり、平たく言えば、義理と人情で「とって貰った」のです。
 このような、新聞拡大が教訓とされても、私は「大きな成果」は得られるものではないと考えています。本来的には、党への期待や、共感を広げた上での新聞拡大が理想だと考えるのです。そう考えると、これは党員拡大にも共通することと考えますので、党員拡大について述べさせて頂きます。
 大会後、私の支部では四人の「集団入党」も含め、六人の入党者を迎えました。この点についても、機関の会議で発言を求められました。私は、これらの入党者が、全て生活相談に乗った人たちであることを述べました。中には、「生き死にに関わる」相談を受けた方もいました。機関紙拡大のところでも述べたように、この党員拡大を否定する物ではありません。
 私自身や、私の世代(私は現在49歳)の党員が、党に加わった時期は、圧倒的に党への共感や、政策的な魅力に惹かれるなどの政治的な志を持ってのものだったと思います。当時は反共思想も根強く、それだけに、簡単には入党申し込み書を書かず、申込書を目の前にして、七転八倒の(大袈裟かもしれませんが)葛藤の末、入党を決意した方が多かったのです。
「苦しみながら入党申し込み書を書け」とは言いませんが、昨今の入党者は、まるで署名用紙にサインするが如く、入党申込書を書きます。党員の中には「もっと考えてから書け!」と言われた方もいるそうです。
 申込書の書き方の問題ではないとは思いますが、昨今入党者があっても活動家が増えていません。全国的に同じ傾向だと思いますが、党活動家の高齢化が目立ち、若年層の活動家が見あたりません。由々しき傾向です。それは当然、若い人の入党が少ないからですが、さりとて、四十代、五十代の入党者が多いというわけでもありません。要するに、全世代的に入党者が少ないのでしょうが。変わりに高齢者の入党は生活相談などと相まって多いのではないのでしょうか。
 ようするに、入党するにあたって、党の政策を理解したり、かつてのように、社会主義の理想に夢を抱いて党に加わる人が少なくなっていると思えてなりません。したがって、活動家となりそうな、働き盛りの人や、青年、知識人階層の入党者はほとんどないのでは(全くないとは言いませんが)ないでしょうか。
 
 機関紙にしても、義理人情では増えるが、新聞の魅力や、党に惹かれた増え方はないと考えますし、党員拡大にしても、社会で活躍している方が、党に加わることなど考えもしない。私はそう思ってならないのです。 私は、党勢拡大は党員が頑張らないからできないのではなく、党そのものが垣根を作っているからだと思っています。

 再度、大会で決定された130%の機関紙拡大に戻ります。
 大会でいきなり提起されましたが、その状況下で、この方針に否定的発言をする同志が出るとは思えません。ましてや、前述したように党勢拡大を否定できるものではありません。ですから、私自身も受け止めましたし、全党で取り組まれました。
 ところが結果は、前述したとおりです。この結果の評価について、まず言わせて頂きます。
 130%をめざして、結果が現状維持で、選挙後直ぐに割り込むとなると、これは、提起そのものが無理難題であったか、大幅増勢に転ずる条件が、初めから存在しなかったかの、いずれかと考えるべきと思います。
 一般マスコミと比較しての評価をもちだして、成果として論陣を張るのも結構ですが、一般マスコミの、朝日や読売の幹部が130%の増勢を提起して、全組織に号令をかけ数ヶ月に渡って活動して、それで現状と変わらないとしたら、提起した幹部は間違いなく退陣です。 130%増勢の提起そのものは否定しませんが、普通に考えれば、大会での提起は結果から見て大失敗と考えるべきです。そう考えることから前に進むべきと思うのです。
 党勢拡大は、当然のことながら、これまでも提起され取り組んでいました。ですが後退が続きました。大会という党最高の決定で取り組んでも、選挙が終われば現状維持あるいは後退です。
 私は、この後退傾向は党そのものに原因があると思えてなりません。
 記念講演、並びに常任幹部会声明を見ると、選挙の結果を、二大政党制とか、マスコミが取り上げないとかの外的条件を取り上げていますが、党そのものの欠点や弱点はないのか?
 私は、党そのものが垣根にこだわり、現状の政治に不満を持つ者を寄せ付けない側面があるように思えてなりません。
 
 投票結果に示されたように、我が党の少なくない支持者が民主党に投票しています。かつて、我が党に「雨宿り」した無党派層はなおさらです。しかし、民主党がいいとは思っていないことも、その後の世論調査で明らかになっています。
 一方、我が党は選挙中、政策などが受け止められ、共感を広げました。「共産党は良いこと言う」と言ってくれる人が少なくなかったのです。ところがそう言いながら民主党に投票しています。これを二大政党制の二者択一で民主党に流れたと見るならば、当面、我が党に前進の機会は訪れません。今の小選挙区制の選挙制度であっても、マスコミがどのような報道をしようとも前進することを考えなければなりません。
 我が党の政策は受け入れられるものであるし、国会での論戦も目を引くほどのものとなっています。つまり、共産党はそれなりに評価されていると思うのです。
 ところが、投票となったり、党の隊列に加わる、あるいは機関紙を購読するとなると
「それは別」となっています。
 「共産党は良い」と一定の評価を受けているにもかかわらず党勢は伸びない、投票の選択肢からはずされるのは何故か。それを考えるべき時ではないでしょうか。

 私なりに、持論を述べさせて頂きます。
 不破議長の記念講演の中で、党名問題に触れた部分がありました。
 私自身、党名は変えるべきと思っています。
 共産党という名に、こだわる説明はこれまで、何度も読んだり聞かされたりしています。知らないわけではありません。念のため。
 今でも、嫌いな政党に我が党が上げられます。公明党も上げられていますが、決定的に違うのは、我が党が嫌いな理由がかつてのソビエトや中国、そして最近では北朝鮮かもしれません。ようするに日本共産党の姿が嫌いなのではなく、外国の共産党や、社会主義国を標榜する国の姿を見て嫌っているのです。
 こういう嫌われ方は、なかなか払拭できません。道理が合わないからです。「日本共産党は違うんです」という論理だけで通るのならば、既に解決しているでしょう。
 最近の「党名を変えれば」という意見は、良心的なものがあります。心配して言ってくれているものもあります。そう言う意見を言う人の中には、「政策ややっていることには共感できるが、共産党を嫌っている人が多い」だから、党には入れないし、赤旗も読めない。と言っているのです。
 ところが、それに対して我が党は、理路整然と党名の歴史を語り、語源の意味を論じ、あげくには「直ぐに好きになってくれとは言わないが」と言って、近づく人をはねつけているのです。私にはそう思えてなりません。
 党名を嫌う方が、日本共産党ではなく外国の党の姿を見ているものであっても、嫌う人が多いのならば、その原因を取り除く一つの手段として、党名を変えることが、なぜできないのでしょうか。
 もちろん、中央委員会の答えは一貫して「できない」であります。
 私は、党名を変えること云々より、党名を変えるべきと言う意見や、共産党は嫌いという論理などを一貫して排除する姿勢に、問題があると思います。
「自分達の言っていることは正しい」私も党の政策を語る時には信念を持っています。しかし、いくら正しくても、道理が合っていても、それが国民の意識とかけ離れているならば、正しいかどうか見直すべきでもあり、
「すぐには判ってもらえなくても、いずれ判ってくれる時が来るから、ここは歩み寄って国民の意識にあわせよう」という姿勢も必要なのではないでしょうか。
 共産党という党名は、ソ連や中国などなどに傷つけられてきました。とりわけソ連はスターリン以来、社会主義のイメージを悪くしました。それ故にその崩壊を我が党は「歓迎 」したはずです。
 この党名をどのように説明しようと、世界史の中で起きた事実を否定することはできません。ソ連で起きたことは「共産党」を名乗る政党が起こしたことなのです。その名前を貫く必要性は、誰にとってのものなのでしょうか。国民でしょうか、それとも党自身でしょうか。それがもし党であるならば、党名を変えたら「党」を離れる人がいるのでしょうか。支持者が急激に離散するのでしょうか。
 党名の問題は、党の体質の問題を浮き彫りにしているように思えてなりません。国民の意識との乖離に背を向けて、ひたすら自身の論理を主張する。その姿勢に違和感を感じ取り、党は、国民との距離を遠ざけているのです。
 
 蛇足かもしれませんが、「不屈の意志と変革の〜」についてですが、不屈は大いに結構でありますが、確信を持っていても、信念を持っていても、そのまま衰滅の道はたどりたくないものです。前述したように、私は党勢の拡大の遅れは、党員の奮闘が足りないのではなく、奮闘する以前に「障害」があると考えています。私が指摘する障害は、これも前述しました。
 近く開かれるであろう中央委員会で、選挙での後退や党勢の問題について議論されることと思いますが、その際、党勢拡大を阻む障害についても議論して頂きたいと考えます。そして、それが私の指摘したものでなくても、「党自身が作っている障害」だという認識に立つことを希望します。

 徳島県党  県委員 高木 純 

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